消しゴムかけ忘れ

ノートの隅の忘れ物

脈絡なく独白

好きになった音楽を飽きるまで聴き倒す癖がある。

寝ても醒めてもそのことばかり考えて、今の自分にはそれしかないとまで思わせるほどの熱情を抱けるのは何も生き物相手に限った話では無いらしい。

 

音楽が好きだ。

歌詞としてでしか成立しない文字列というものは確かに存在していて、ある種制約がある中で紡がれる思考は、時にいっそう美しい。

そしてそれに音が乗る。表現したいことをたくさん乗せられる音楽というものが、正直に言ってひたすら羨ましいと思ったりする。だってそれは、音楽にしかできないことだ。移ろいが創造できるのは、音楽だけなのだ。

 

真剣に考えた後、真剣に「いいなあ」とぼやいたりすることがある。わたし自身に音楽の才能が無いから尚更そう思うのだろうけど、なんだかふとした瞬間に「音楽って強いなあ」と思ったりなんかする。

 

 

とかなんとか書いていたら好きな作家がわたしの中の正解ドンピシャなことを話していたのを思い出した。

これを見た日には首がちぎれるほど頷いたし、いったんこうして言語化できる人の文章を見るとどんどん自分の思考がそれに侵食されていくのが何とはなしに分かってしまうし、だから結局自分が本当は何を話したかったのかもう曖昧になってしまったし、この辺で適当に切り上げるしかないのかもしれない。

いつも人の思考に浸って生きるこの日々をどうにかして掬い上げてやりたい。早く自己の確立を端々だけでもいいからしてやりたい。「自分はこれだ」と、自他共に知って堂々前を向いていたい。もうどうせ大成できないだろうことを知って、手元に残るのが何も出来ない自分だったとしてもそれすら好いていてあげたい。

どうしてそんなに他人行儀なんだと言われれば言い返せやしないけれど、どうか最低限の自己肯定と自惚れを勘違いしてほしくはないな、とも。

幸せに生きるって難しいよなあ。

 

20201201

 

 

時薬

テレビ番組を観た。

それはただひたすらに美しいものを画面に収めていて、普段から楽しみに観ていた番組の、約2年分の総集編だった。

画面に映るMCの片方は大いに世間を賑わせ、また大いに世間を悲しませた人間だった。誰かの不幸を食い物にするような連日の報道にも、誰かが悲劇的に彼のことを話すのにもうんざりして情報を遮断していた私には、彼が動き喋る様子がひどく懐かしく思えた。またひょっこりと現れて笑顔を振りまいてくれるような気さえしていた。私はようやく、彼のことをきちんと観られるようになったらしかった。

 

彼は生きていた。咲き誇る花に触れ、輝く宝石を愛し、数々の美食に舌鼓を打って、端正な顔立ちと気さくな表情をころころと変えて、画面の中でこれ以上ないほどに生きていた。けれどそれはもう起こらない。

彼はもう二度と新しいものを見聞きせず、新しい言葉を紡いではくれないのだと気付いた瞬間、どうしようもなかった。絶望と空虚は涙に変わり形を為した。

死を理解することは最大級の残酷で、それでいて最後の祈りだ。いつか生は終わるなどと達観ぶった言葉は、今は言えるはずもない。

 

番組はこれからも続くらしい。放送の最後に出た予告のテロップはいつもの通りだった。彼が居なくなっても続く世界の中で、彼の居ない番組の続きを待つ。

 

 

20200903

勝手によーいどんの号砲を鳴らされただけの

長生きして叶えたいものが増えていくのと同じようなスピードで、わたしは大人になる前に死ぬのだと考えていた。なんの根拠もない仮説には何故だか確信があった。ずっと「ここに車が来たらわたしは死ぬな」やら「すれ違う人の中に凶器を持っている人がいれば狙われて死ぬな」やら、無意識に脳裏にチラつく癖があった。どんなきっかけでも、何が原因でも、きっとすぐに幕が降ろされる想定でもって生きながらえてきた。

それでもわたしは大人になってしまった。五体満足、なんの怪我も病気もせず、精神以外はすこぶる健康体のままでこの地に立っている。幸せなのだと思う。日頃よくしてもらっている人間たちから改めて祝福を受けられるこの日がずっと好きだったのはそのあたたかさに生かされていたからだ。存在を無条件に許される1日の記憶で1年を生きる。きっとこれからも。

いつも何もできない人間なのだと劣等を抱えて目を醒ます。今日も何も出来なかったと失望して目を閉じる。「わたしらしさ」の確立はきっと一生かかっても出来ない。何者かにはなれない。それでもきっと歩くしかない。勝手に開始の合図を撃たれただけの何かが「何か」になるまでは、全てが道中だ。

 

初めて飲んだアルコールはジュースとの区別がつかなかった。それでもじわじわ脳髄と末端に効いていくそれを毒だと言う大人の気持ちは少しだけ分かったような気がした。すぐに寝るからと言ってエアコンを切った部屋は自分ひとりの体温とパソコンの排気熱で息苦しい。

また死に損なってしまう。

 

20200819

周回遅れ

 

休日の朝に早起きが出来なくなったのはいつからだろう。観たい番組を録画する知恵のない子どもだったわたしは、あんなに早く起きてこっそりゲームをしてテレビを見て誰かが起きてくるのを待っていたのに。6時半に目を覚まし薄闇の中で布団を出ていたわたしも、家族を起こさないように小さな音量でテレビを観ていたわたしも、張り切って家族の朝ごはんをつくったわたしも、もうどこにもいない。

 

休日用の遅めの時間に切り替えることも忘れていたアラームは耳に届かず、11時に目が覚めた。

いつものことながら朝食を食べる気は起きず、適当に混ぜただけのカフェオレを飲む。

いつにもまして何もできない休みだった。やりたいことが分からなくなって、机に向かえなかった。どうにかしてパソコンとノートを広げても2分先でスマートフォンを眺めている。知らぬ誰かの呟く流行を漁っても気は晴れない。今まで何をして休日を過ごしていたのか分からなくなるほどには空虚だった。何もかもすぐに飽きがくるようになってしまった。とにかく全てに集中できない。集中し過ぎて気付けば日が暮れていた日々はどこへ行ったのか。かといって、思いきりぼんやりしていれば何もしていない自分を再確認して焦る。周りの人間たちは今日も何かを成しているのに、わたしはずっとその場を凌ぐので精一杯だ。

いつか追い付けなくなる。できないことを理由に何もしなかったわたしは、もうとっくに二周も三周も遅れている。地球が丸いから勘違いしているだけで、本当はずっとずっと後ろを走っている。

 

こんにちは、なんでもできたあのころのわたし。今のわたしの世界はこんなに小さな液晶の中だよ、と教えたら、どうなってしまうだろうか。

 

 

20200727

覚えたがりで忘れたがり

最近、記憶の綻びがひどい。もともと長期記憶に関しては変なものばかり覚えていることが多いのでそれなりに自信のようなものはあったのだが、一方で短期記憶が大変なことになっている。自分が出したコップを忘れてもう一個同じものを出す。新刊だと思って買った漫画が家の本棚にある。歌のワンフレーズが頭にこびり付いているのに曲名が思い出せない。確認したはずのスケジュールが分からなくなる。一度やったことを忘れてもう一回やろうとする。三分前に言われたことを実行前に忘れる。書き出してみるとさながら病でも患いかけているのかと思われそうだがそういうわけではない。健康ではある。ただただ脳ミソの腕が鈍ってきているだけなのだ。この表現からして既に意味が分からないがきっとそうだ。使わない道具がすぐ壊れるように、芸事を一日休むと挽回に三日かかるように、他人との会話や外出による運動、大勢の雑踏への対処ですらしなくなったことで以前のように頭が回らなくなったのだ。砥がない刃物はすぐ切れなくなる。厭うた不要品を退け続けることすらわたしを刃たらしめる為の研鑽だったのだと、ようやく気付いた。

先週、久しぶりに電車に乗って外出した。朝の車内は以前と変わらず混み合っていて、密閉を避ける為に開けられた窓のせいでいつもよりも騒がしかった。電車を降りてからのいつもの通り道も、人は少ないはずなのになんだか物音ひとつひとつが大きく聴こえた。鬱陶しくて邪魔くさくて、それでも悪い気はしなかった。いつもの場所で会った友人達も変わった様子は無く、久々の再会にしては劇的さの無いものだったがそれでも喜びの妨げにはならなかった。

 

知らぬ間に暗くなるまでの時間もだいぶ延びた。外に出られなくなる直前の3月には真っ暗だった帰路もなんだか明るくて、変に浮き足立ったわたしは、いつも欠かさないイヤホンをせずに歩いた。

 

20200617

迷子の春

もう五月も終わろうとしているのはまだ半分ぐらい嘘だと思っている。ここは三月と四月の隙間、さまざまが収まるまで眠りについている四月がいつか目を醒ましたら、そこでようやく春が来る。なんて。こんなに暑いのに。

外に出る機会がめっきり減ってから季節感が分からなくなった。服装に工夫を凝らすこともしなくなったので、その感覚は更に加速している。一日中同じ部屋の同じ電球色の室内灯とPCのブルーライトを浴びて、空かないお腹にご飯を詰めてお風呂に入って気付けば一日は幕を下ろす。

誇れるもののない日々が春を食い散らかしていった。長期休みにやろうとしていたものは全て中途半端な進捗だけを残している。あんなに時間があったのに部屋だってきれいにはならなかった。かといってずっと暇な訳でもないし、絵を描くモチベーションも特に高くない。

唯一触れられる外界は液晶の向こうだけ。友人たちとはメッセージやら通話やらで連絡を取り合ってはいるが、隔てるもの無く話せるのはきっと随分後になるだろう。もうすぐ誕生日の友人に贈るプレゼントはおまけしか用意できていない。節目の年だからきちんとしたものを自分の目で選んで渡したいと思っていたのだけど、少し無理そうだ。

代わりにと言ってはなんだが、家にいる時間は圧倒的に長くなったので、音楽をたくさん聴くようになった。いつも電車に揺られているときには、疲れていたり周りが騒がしかったり時間制限があったりで聴く音楽の冒険をする余裕は無かったのだけど、家の中なら外の喧騒を気にする必要は無いし、歌詞もきちんと読めるからいい機会だと思って色んな音に手を出してみた。知ったフリをしていたバンドも、名前だけ知っているアーティストも、売れた一曲しか知らないアイドルグループも、たくさん聴いた。気に入る曲には案外垣根が無いことを知った。MVも真剣に観たりした。iPhoneの電池の減りは早くなった。

なんだかんだと文句を垂れながら、制約の中でなんとか楽しみを見出そうとはしているらしい。防衛本能か、それともお得意の飽き性だろうか。

世界は決して元には戻らないだろうが、時計は回り続ける。そもそも右にしか進まない世界で過去と同じことを求めたところでどうしようもない、くらいには考えが落ち着いてきてしまっている。だからそんなどうしようもない世界で、迷子になっている春が戻ってきますようにと祈って生きるしかない。死に損ないの独り言。

 

20200527

そういうやつ、の後編

こんにちは。

ショータローです。

この前書いた「歪な出会いとか、そういうやつ」の続きです。この話はこれで終わりです。長々すみませんでした。

 

 

とある動画で「TOGENKYO」を聴いた。それが始まりだった。「痛いですか  今の判断は」のたったワンフレーズが、私の心に引っかかって離れなかった。

そこから曲を探して聴いて、公式サイトを調べてWikipediaを読んでまた別の曲を聴いて、そうして好きになるのに時間はかからなかった。

ミュージックビデオを色々漁っている最中にTHE ORAL CIGARETTESにも出会った。「ワガママで誤魔化さないで」。当時はこの2バンドが事務所の同期だと知らなかったので、方向性の違う2バンドを好きになっているな とだけ思っていた。

そしてまた、同時期にスタートしていたはずの熱はこの頃ORALのほうに傾いていた。所謂ロックバンド然とした、多少強引な牽引力とバッチバチに決めたビジュアルに惹かれていた(後者は今もだが)。

反対に、フレデリックのことは宇宙人か何かだと思っていた。曲からもミュージックビデオからも人間味を汲み取れなかったので、「本当に生きていて感情があるのだろうか」などと考えていたこともあり、たぶんきっと、バンドではなく曲単体を見ていた。

YouTubeにアップされている動画の中でとりわけ刺さったのが「シンセンス」だった。神戸ワールド記念ホールのライブ映像に、わたしは一瞬で恋に落ちた。恋より眩い何かだった。

自分の目で見てみたくなった。あの宇宙人のような彼らに、会ってみたくなった。

 

年は明けて2019年の6月。

邂逅からおよそ8ヶ月が経ったある日、何気なく眺めていた公式サイトの公演情報。

"MASH A&R presents  MASHROOM 2019”。

直近でやる予定の公演だという理由で詳しく見てみただけのそれが、運命によく似た偶然としてわたしの元へ舞い込んできた。

好きになった2バンドがいっぺんに見られるというチャンスを逃すわけにはいかず、初めてイープラスとFamiポートを使って、8月14日を待った。ちなみにこの時点でもこのライブが事務所のイベントだということには気付いていない。


当日。

勝手が分かっていない催事に誰かを連れて行くのは気が引けたのと、知人と芸術鑑賞をするあの気まずさが苦手なのとで、一人で行った。

 

物販列に並んでいる最中に雨に降られたことも、缶バッジを二つ買ったのがダブって近くにいる人に交換してもらったことも、フードが美味しかったことも、ロッカーの位置を間違えて100円を無駄にしたことも、ドリンクは公演後でも買えることを知らずに開演直前に焦って飲んで頭痛に襲われたことも、何もかも覚えている。

それでもライブ本編の記憶は途切れ途切れで断片的だ。初めて自分から聴きに行った生の音楽たちは眩しすぎた。何も知らず何も分からないままに手を挙げて、手を叩いて、一緒に歌って飛んで跳ねて、脳髄をしっちゃかめっちゃかにした。

だからあんなにライブ映像が刺さった「シンセンス」はそれと認識できなかったし、「NEON PICNIC」は新曲だと思っていたし、「オドループ」は歌詞を覚えていなくて一緒に歌えていなかったしで、今考えるとそれはそれはもう散々な記憶だった。最近調べ直したらフレデリックは此処で「VISION」と「イマジネーション」を初お披露目していたらしい。「イマジネーション」はまだシンガロングをしたので少しだけ記憶があるが「VISION」はこれまた全く覚えていない。

 

初めて近くで見たバンドたちは皆さまざまにきらきらしていた。バラードが流麗なバンドもいた。感情に任せた歌が響くバンドもいた。色んな音を見た。色んな形を知った。誰かの愛も誰かの涙も誰かの笑顔も、たくさんたくさん聴いた。

たのしい世界だと思った。

 

MASHROOM2019が終わってからも余韻が1週間ほど続き、生活に支障が出る一歩手前だった。長期休みの内で良かったとずっと思っていた。

それから、フレデリックの4人のSNSを調べて見続けた。意外と全員人間らしくて驚いた記憶がある。密やかな愛はゆるやかに積もっていき、その力はわたしをファンクラブに入会させ、Twitterの新しいアカウントまで作らせた。そして今に至る。

 

大変長々と語り倒したのでこんなものをここまで読んでいる物好きな人はそうそういないと思うが、事の顛末はこんなところ。きっとよくあるハマり方だし、とても劇的かと問われると必ずしも首を縦には振れないけれど、それでもわたしにとっては唯一の偶然で、確かな分岐点だった。

 

いつか訪れる愛の衰退を恐れながら、わたしは今日も愛に鍵を掛けずにいる。届いてほしいとは思わないが、それがわたしにできる精一杯の等価だと思っている。

 

20200517