高速道路の運転にすっかり慣れた母と2人で、祖母の家に行った。
わたしはまだ数えるほどしか高速道路の運転をしていない。いつか友人を乗せてどこか遠くへ行こうと画策している身にとって、この練習不足は痛いと思っている。が、どうにも恐怖が先行していつも助手席に甘んじている。高速料金のお釣りを少なくするのと、サンキューハザードを出すのだけが上手になった。
祖母とは退院後から会っていなかったが、あまり変わらず元気だった。そう見えるだけなのかもしれないが。
祖母の入院中、家主も犬もいなくなった家に親戚連中で入れ替わり立ち替わり様子を見に来る任務が課せられていた。その任は私たちも例外ではなく、何度も行き来していた。
出したゴミは持って帰る。使ったものは元の場所に。流しは使ったら水を切って洗い桶は伏せる。ともすれば合宿所にでも来たかのようなルールや行動も、それはそれで面白くあった。
それから丸々三ヶ月。
家の各所にある段差へ手摺りを取り付けるアタリが取ってあった以外は、何も変わっていなかった。
まだ安静にする必要がある祖母の頼みを訊くための訪問のようなもので、落ち葉を掃いたり倉庫からものを引っ張ってきたりなんだりさまざまやった。母に従ってカブの苗を植えたりもした。
何も考えない練習になるので、無性に畑仕事をしたくなるときがある。
あまり得意でない虫に遭遇するときは環境が重要なようで、「まあ山ん中だしな」という風に思えていれば、多少強がってはいるが動じないようになる。
植え替えの時に耕した鍬と土の感触が長く手に残っている。ほんの少し手足を動かしただけで汗ばむ感覚がいやに懐かしいような気もした。
いきなり農業に目覚めたりすればいいんじゃない、と母は言った。ありがちだけど、いつか本当にそうなっていそうだと想像して苦笑する。
形而上とはいえ大人になった今、やりたいことばかり増えていく。
あんなに嫌っていた人生に、今は不思議と光明があるのかもしれない。
昨年書きとめてそのままにしていたもの。時間が経って状況も変わったので載せてしまう。
20220428