消しゴムかけ忘れ

ノートの隅の忘れ物

時薬

テレビ番組を観た。

それはただひたすらに美しいものを画面に収めていて、普段から楽しみに観ていた番組の、約2年分の総集編だった。

画面に映るMCの片方は大いに世間を賑わせ、また大いに世間を悲しませた人間だった。誰かの不幸を食い物にするような連日の報道にも、誰かが悲劇的に彼のことを話すのにもうんざりして情報を遮断していた私には、彼が動き喋る様子がひどく懐かしく思えた。またひょっこりと現れて笑顔を振りまいてくれるような気さえしていた。私はようやく、彼のことをきちんと観られるようになったらしかった。

 

彼は生きていた。咲き誇る花に触れ、輝く宝石を愛し、数々の美食に舌鼓を打って、端正な顔立ちと気さくな表情をころころと変えて、画面の中でこれ以上ないほどに生きていた。けれどそれはもう起こらない。

彼はもう二度と新しいものを見聞きせず、新しい言葉を紡いではくれないのだと気付いた瞬間、どうしようもなかった。絶望と空虚は涙に変わり形を為した。

死を理解することは最大級の残酷で、それでいて最後の祈りだ。いつか生は終わるなどと達観ぶった言葉は、今は言えるはずもない。

 

番組はこれからも続くらしい。放送の最後に出た予告のテロップはいつもの通りだった。彼が居なくなっても続く世界の中で、彼の居ない番組の続きを待つ。

 

 

20200903