消しゴムかけ忘れ

ノートの隅の忘れ物

夕焼けに願う

こんにちは。

ショータローです。

アカウントの画像は設定したけれど、雑記本体のアイコン画像もなるべく早く決めてあげないといけないなあと考えています。

 

家で過ごす時間が増えて早数週間。生来の出不精が良い方向に転ぶかと思いきや、意外とそうでもない。「しない」と「できない」では全くもって話が違うことに気付いたのは少し前のことだ。

 

絵を描くにも、携帯の画面を眺めるにも飽きが来たわたしは、最近カメラをよく使うようになった。小ぶりなミラーレス一眼カメラ。何もいきなり張り切って使おうと意気込んだわけではなく、これまた少しのきっかけがある。

 

わたしは生まれてこのかた起床を大の苦手とする人間で、何かしらの予定が無くなったこの頃は特に朝がつらく、身体を太陽光で目覚めさせようと、起きてすぐ寝ぼけながらカーテンを開けている。自室の窓は西向きなのでどう頑張っても朝日は入ってこない、明るさでなんとかしようという気休めだ。それでも夕方には必要以上に眩しくなってしまうので、昼間かそこらにカーテンは閉めてしまう。

 ある日、別の考え事に気を取られてカーテンを適当に閉めた日があった。幸か不幸かその日はやたらと慌ただしく、カーテンの隙間から射す強い西日を気にしていられないほどにずっと机に張り付いていた。作業がひと段落したのは18時を回ろうとしていたころ。何気なく窓に目を遣ったときだった。

今まで見たこともないような赤橙と紫のグラデーションが、部屋の窓の外を埋めていた。

これまでも何度か陽が沈むのを自室で見たことはあったが、その時は何かが違った。「空が焼ける」という表現がぴったりはまったような感覚がして、気付けばスマートフォンのカメラで何枚か写真を撮っていた。それでもアルバムに記録されたデータでは色味が全く違ったので、ひとり地団駄を踏んでいた。

あんなにも鮮明に目に焼き付いたあの色が、レンズ一枚、液晶一枚通しただけでいなくなることに気付いたわたしは、それなりに悔しがった。どうにかしてあの色を残したいと考えたとき、家に眠るカメラの存在を思い出した。

カメラの電池を充電しながら、明日も晴れますようにと願った。こんなお願いをしたのは何年ぶりだろうかとひとり笑い、眠りについた。

幸いにもそう願ってから今日まで快晴続きで、順調に写真は増えている。どうもこの状況下、経済活動の滞りが起因して大気が澄んでいるそうで、そのおかげで夕陽がきれいに見えるらしい。たしかに写真に収めている陽はどれもくっきりと真ん丸で、穴でも開けたような孤独さを持っている。だからこそ、最初に見たあの燃えるような陽には未だに会えていない。

お隣さんの屋根の形。

遠くのマンションの灯り。

ひとりの鳥の鳴き声。

鉄塔と電線の間隔。

毎日同じ場所に伸びる飛行機雲。

風に乗って聴こえる駅構内の発着音。

まだ少し冷たい風。

ベランダに出ればいつもと変わらぬ欠片などそこかしこに落ちていて、そう昔の話ではないはずの日常がひどく懐かしく思えた。

いつの間にか空が焼ける時間を把握し始めている自分がいた。夕陽を待つ時間がこれほどまでに恋しいだなんて、こんな時でもなければ気付けなかったかもしれない。

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明日も晴れますように。

そう願って、今夜もカメラの電池を充電する。

 

20200503