消しゴムかけ忘れ

ノートの隅の忘れ物

飽き性のこれから

こんにちは。

ショータローです。

何の話からしていけばいいか分からなかったので、この文たちを記すと決めたときの、少しの後押しのお話をします。初回で「始めたことに大した理由は無い」などとほざきながら、なかなか大層な理由が存在していたのでここにお詫び申し上げます。

 

元来わたしは飽き性という言葉が服を着て歩いているほど飽きっぽい人間で、アニメもドラマも30分まともに観続けられない。ソシャゲの周回も2、3周で疲れてやめるし、「1日1回何かする」という習慣付けも、これまでの人生で続いた試しがない。

日記をつけようとしたことは何度もある。

実際つけていた時期もある。始めの1週間びっしり書いて、その後ぱたりとつけなくなる。そして1ヶ月後に存在を思い出して、また1週間だけがんばる。以下繰り返し。アマゾン川のスコールの如し。

けれど文章を書く行為が嫌なわけでは無かった。むしろ好きなほうだ。

好き とは少し違う、でも 得意 というような距離のある表現もしっくりこない みたいな、意味の分からない愛がそこにある。「わたしにはこれしか無い」という強迫観念めいたものも底にある。のかもしれない。

そして声を大にして言えるほどの技量は持ち合わせていないけれど、絵も好きだ。

でもこっちのほうこそ、好きの一言では収まらない厄介な何某を抱えている。こんなに波のある愛もそうそう無いと思えるほどには、絵のことは大嫌いで大好きだ。これまでの生、絵で喜び 絵で悲しみ 絵で憎み妬み云々を繰り返し続けている。

なんだかんだ距離が近過ぎて、短い期間でコンスタントに続けていくことが出来ない。そして何より筆が遅い。(うだうだ書かなくてもその一言だけで充分だったのではないだろうか)

 

 

そんなこんなでバンドにお熱になってからも、その理屈は覆らずにわたしの中にいた。

「1週間に1枚は絵を出せたらいいな〜〜」などと考えても実情は無惨なもので、3月頭に描き始めた絵は未完成のままフォルダの肥やしになっている。もう2ヶ月経つこの事実に比例して、ツイートは日々増加の一途を辿る。無意味な叫びから格好つけたような解釈まで、時間の無駄をことごとく厭わない姿勢に我ながら呆れた。

 

 

そんな阿呆は、ある時このハッシュタグを目にした。

 

 

 

誰かの心を開けて見せてもらうような、脳ミソの道筋をご本人に事細かに表現してもらうような心地がしたこの企画は、食わず嫌いばかりするわたしの心にすとんと落ちた。

自分に刺さった理由は全くもって分からない。どう言葉にすべきか考えつかない。

 

けれど、わたしはこれを観ているだけの人間では終われないと思った。

 

並びたいとか追い付きたいとかそういう野心のようなものではなくて、「わたし」はどう考えるのか、「わたし」はどう思うのか、「わたし」はどう表すのか。それを表に出していくことが、ひょっとしたらわたしに出来るのかもしれないと思えた。

 

だからこうして雑記を始めようと考えた。

実際この行動がどう働くかは全然わからない。良くなればうれしいし、悪くなればそれまで。人生楽ありゃ苦もあるさと水戸黄門も歌っているのだからなんとかなる。そう思いたい。

 

一発目からいきなり2千文字弱の言い訳を重ねているけど、結局は格好良い人の真似っこをしてみたいだけのたいへん俗っぽい理由でしかない。

いきなりそれを話すというのもなんというか、自分の感覚で言うと「メチャクチャダサい」。でも、もうその格好付けすら開き直ってしまおうかと最近よく思うのでそうした。秘匿は美しいけど、ここでは正直に書いてみようかなと思っている。それだけでまずまずの成長なんじゃないかなと言うくらいには、わたしは自分に甘いのだけれども。

 

 

最後になりましたが、あおさん、ユユ・マルさん、DAさん、こしのさんに最大限の感謝と敬意をお伝えしたいと思います。ありがとうございます。

 

20200502