消しゴムかけ忘れ

ノートの隅の忘れ物

武器の無いわたし

 

生まれ物心がついてから十何年、わかったことがある。

わたしはおそらく絵が描きたいだけなのではなくて、何か目立つことをして誰かに認められたかっただけなんだということを。

実際ずっと前からこの感情には気付いていたんだけれど、そのたびに無視してやり過ごしてきた。そんなことない、そうはいっても、自分を信じられるのは自分だけ、諦めてはいけない気がする。そう思い込んできた。

だけどここ半年ほどここではない界隈に身を置いて絵を描いてみて、ようやくその事実を認めることができた。所謂巨大ジャンル、というのはコンテンツ量が膨大で、描いても描いても次の話題が来る。結論から言えば、筆が速けりゃ速いほど強いのだ。

知っての通り私は何をするにも取り掛かりは遅いし絵でも文字でも何にせペースも悪くて仕方ない。発想力も人並み以下かつ表現に目新しさもなければ圧倒的な絵のうまさで捩じ伏せるということも無い。

わたしの絵には武器らしい武器がなんにも無いのだ。

わたしは誰かに嫉妬しやすい。「しやすい」などと、そんなかわいい言葉で騙ってはいけないほど。遠い人間だろうが近しい親友だろうが、武器を持っていて、本人がそれをわかっている事実を知ると本当にしんどい。

どうしてあの子にはできるんだろうか、しか考えていない。対人関係耐性がなさすぎる。

 

絵を描いても文字を書いてもツイートしても何をしても誰かに見てもらわないとそれは途端に私の中では意味の無いものになって大事にできなくなる。大事にできていないことは見抜かれてそれ以上見てもらえず、やっぱり意味は無くなってもっと大事にできなくなる。

わたしの世界でずっと一番だった、大切だったものを外に持っていってみればあまりの自惚れだったことを遅まきながら知覚する。


世界には、何もしていなくともうっすら好かれる人と、何をしてもうっすら煙たがられる人がいることを知っている。どれだけ前者を恨んで羨んでそうなろうとしたところで、わたし自身は絶対的後者から変われないということもわかっている。そりゃこういうことをつらつら書いてインターネットに放流しちゃう人を好きになるのは厳しいですよね。こうやってそんなことないよの言葉を待つ姿勢も同様に。

 

怒りと苦しみがうまく燃料に変わって脳があったまればいい結果に繋がることもあるけど、だいたいは火勢が強すぎて精神が焼き切れて死ぬ。

だけどもうなんというか、今はそれでいい。それでいいというより、もうどうでもいい。

絵を描いたりなんだりで駄目になるならやめよう。ただでさえ不規則な生活と不安定な精神を飼っているのなら、ここらで一度距離を取るべきだ。

潮流に乗ろうとして溺れながら創作していたんじゃどうしようもない。武器もないのに、いきなりボスバトルに挑むような滑稽。


これまで絵に使ってきた時間は、しばらくの間だけでも他のことに使ってみよう。

ゲームに本腰を入れなくなって久しいので、まずそれから。次に3年くらい編みかけで冬を越させているマフラーをいい加減完成させるとか、積んだまま棚にぶち込んで眠らせている本をちゃんと読んでもいいかもしれない。

なーんだ、ちゃんと探さなくてもやりたいことはたくさんあるみたいなので、今のところ問題なさそう。


一生涯筆を折ります、という話では全くないし端折りに端折って言うと「巨大ジャンルの流れが速すぎてついていけないので岸に寄らせてほしいです」ということなので、描きたいものができたりしたらふつうに絵を描くと思います。そもそもこんな適当な理由で絵を描くのを休んだことがないので、たぶん離れようにも離れられない気がします。

大好きで大嫌いで毎日それに振り回されているけれど、そうでもしないと自転が止まって死んでしまう人生を送っているみたいです、わたしは。

 


どうせ後悔します。

こんなくだらない文章を練って誰かに読ませたことを。

最後まで読んでくれた人、ほんとうにすみません。わたしはこのような鬱屈でできています。

私は踊りたかった

ありがたいことに自分の身体そのもののことは今でこそ憎んではいないが、如何せん運動、こと体育の授業に関してはその愛すべき要素全てが裏目に出る最悪の仕様に仕上がっているのが私という存在だ。
左利きだった名残を唯一感じられる、少しだけ便利な愛しい交互利きは歪で誰にも合わせられない悪癖と化す。人より多少高い身長も多少長い手足も、ただそこに在るだけで益にはなり得なかった。幾度も繰り返す失敗に向けてくれた周りの生温い目線と声援を、どうか叶うなら何もなかったことにしてくれと下唇を噛んで祈ったことを、ずっと覚えている。

 

そんな中、何の因果か成人してからというもの「踊る」がついてくる生活を送っている。
別に毎日何かしら踊ることを強制されていたりそういう職業に就いたりしている訳ではなく、思いがけず生活や好きなものの中のすぐ近くにそれがあるというだけだ。
最近気になるアイドルは組体操みたいなダンスばっかりだし(それが面白いながらにかっこいいから見ているんだけど)、そもそも踊ってない夜は気に入らない。
私は踊れない。踊れないとわかっていながら、いつもそばにいる。

 

努力しない自分の癖を思い出した。

「似合わないかもしれない」、それだけの理由にもならない理由でたくさんのことを諦めてきた自分を思い出した。

いつもそうだ。やり切る前から、やってみる前から思い込みで動けなくなって逃げる。
誰かに見られた時にどう言い訳しようかなんて、やる前から考えても仕方なかったのに。声に耳を傾けたところで、誰も責任を取ってくれやしないのに。

 

堂々としていたかった。
指されていたかもしれない後ろ指すら引っ掴んで、笑いたかった。

舞台に立って、たったひとり自分のためだけに使われる明かりを知りたかった。

苦しみながら、狂いながら生み出すものには勝てないと思い続けてきた。
おかしくなりたかった。気が狂れてでも、表現を恐れずいたかった。これが私だと、自分自身だけで証明したかった。生きていたかった。

今から変われるとも思えなかった。変わろうとも思えなかった。

 

それでも。

私は踊りたかった。

2021年11月14日


高速道路の運転にすっかり慣れた母と2人で、祖母の家に行った。

わたしはまだ数えるほどしか高速道路の運転をしていない。いつか友人を乗せてどこか遠くへ行こうと画策している身にとって、この練習不足は痛いと思っている。が、どうにも恐怖が先行していつも助手席に甘んじている。高速料金のお釣りを少なくするのと、サンキューハザードを出すのだけが上手になった。


祖母とは退院後から会っていなかったが、あまり変わらず元気だった。そう見えるだけなのかもしれないが。
祖母の入院中、家主も犬もいなくなった家に親戚連中で入れ替わり立ち替わり様子を見に来る任務が課せられていた。その任は私たちも例外ではなく、何度も行き来していた。

出したゴミは持って帰る。使ったものは元の場所に。流しは使ったら水を切って洗い桶は伏せる。ともすれば合宿所にでも来たかのようなルールや行動も、それはそれで面白くあった。
それから丸々三ヶ月。
家の各所にある段差へ手摺りを取り付けるアタリが取ってあった以外は、何も変わっていなかった。

まだ安静にする必要がある祖母の頼みを訊くための訪問のようなもので、落ち葉を掃いたり倉庫からものを引っ張ってきたりなんだりさまざまやった。母に従ってカブの苗を植えたりもした。

何も考えない練習になるので、無性に畑仕事をしたくなるときがある。
あまり得意でない虫に遭遇するときは環境が重要なようで、「まあ山ん中だしな」という風に思えていれば、多少強がってはいるが動じないようになる。
植え替えの時に耕した鍬と土の感触が長く手に残っている。ほんの少し手足を動かしただけで汗ばむ感覚がいやに懐かしいような気もした。
いきなり農業に目覚めたりすればいいんじゃない、と母は言った。ありがちだけど、いつか本当にそうなっていそうだと想像して苦笑する。

 

形而上とはいえ大人になった今、やりたいことばかり増えていく。
あんなに嫌っていた人生に、今は不思議と光明があるのかもしれない。




昨年書きとめてそのままにしていたもの。時間が経って状況も変わったので載せてしまう。

20220428

光の行く先

応援しているバンドの進退を知った。

聞いている最中は平静だったのだが、後になってじわじわと考えを巡らせてしまっている。

ドラムが脱退すること、年内で現在の名称での活動を終えること、それから新たな名を冠して再出発すること、それを改めてニュースにはしないこと。

本人たちがそれに前向きで、拗れた末路などでもないということは分かっている。分かったつもりでいる。けれど、それでも多少のショックは受けてしまっているのだ。

この世の微かな光である彼らだから、彼らがその名であったから、そうしていっそう輝いている曲はたしかにあって、彼らがあの名前の内に出していたことに意義があった、と勝手ながら思っているから。


けれどしかし、きっと彼らは新しい服に袖を通すだけのような気持ちでいるのだろうとも思う。今がやがて過去になっても、消えずに抱え続けていてくれると信じている。

こんな時ですら、彼らは歌に全てが込められているように見えて仕方がない。

 

LAMP IN TERREN「New Clothes」Music Video - YouTube

知らない生活

用があって、県外ではないにせよ遠出をした。
その帰り際、用のあった場所のすぐ近くに商店街があるのを知ったので散策がてら足を運んだ。

地元と同じように下町の分類の中であるとはいえ、なかなか毛色の違う街である。これは他の人に話してもあまり伝わったことのない感覚なのだけど、なんというか、重心が低い。道の広さとか天井の高さとか歩く人の姿とか、何がそうさせるのかは未だ分からないけれど、とにかくほかに形容のしようがないと思っている。

地元の商店街には、もう文房具店がない。なんなら書店もない。
そんなわけで久しぶりにそういう空気を吸いたくなって、掘り出し物なんかも少しだけ期待して、商店街の一角にある文房具店を覗いた。

人が一人通れる程度の入り口の横に、小さな駄菓子コーナーがあった。プラスチックの駄菓子ケースと、蓋に貼られた値札を見て小学生たちが真剣に会議を開いている。
おばさんこれ集まったから交換して、あれ出ないかな、出たら明日学校に持ってこうよ、あたし1枚足りないかも。
雨が降り出して静かなはずの店内に、その会話はよく通っていた。
様子を見るに、どうもここで集められるチケットを貯めて、ついに景品と交換するところのようだ。
一拍置いて、一際大きな声がする。どうやらレアものでも当たったのだろう。

じゃあおばさんさよならー、と目的を終えた小学生たちが帰って行くのを聞きながら、店の奥にある一角に足を進める。
マスキングテープが山のように入っている容れ物は、よく見たら駄菓子ケースだった。

予想外に長居をしてしまったこともあり、ケースの中からひとつテープを取ってレジに向かう。それと、小学生たちの話を聞いて無性に気になった10円ガムも。

会計を済ませると店員さんから1枚の小さな紙を渡された。これが例の券か、と思いながら店を後にした。
雨はいつの間にか止んでいた。

そこから駅に向かって歩いた。4軒ほど美容院がひしめく中、間に挟まれている蕎麦屋は営業しているのかしていないのかまるで見当がつかない。エンジンを吹かした配達バイクが人と人の間を縫って進んでいく。

有り得ない既視感と台本じみた出来事に、他人の日常を覗き見しているような感覚がする。稀に見る破綻のない夢の中身と大差がないような気さえした。

 

もうきっと訪れることもないだろうに受け取ったあの券を、彼女らにあげてしまえばよかった。
そう思い返して電車に乗った。

 

20210909

ろくでもない近況

私が昼まで眠りこけている間に雷が鳴ってパンが焼けて郵便が届いてライブハウスが閉館して人が死んでいる。

長期休みの間、週一回のアルバイト以外でまともな時間に起床できた試しがないし、それでもしなければならないことの締切はどんどん近づいているし、なんならこんな文章を更新している場合ではない。

つい先日歳を重ねたが、それに見合うだけの責任を負えるようには到底思えず焦っている。小さな頃夢見ていた大人の自分とは、もう少し地に足をつけ自分の力と責任で生きるものだったような気がするのだが、他人事のようにおかしいなあなどとほざいている。

未だ何者にもなれないし、そもそも生涯なれないことはわかっているのだけれど、それでも多少、小さな井の中でだけでも存在を認められたいと思ってやまない夏を過ごしている。

結局このブログも半年ほど間が空いているところから推測できる通り、文章を書くのも絵を描くのも怠っていてますます存在意義が失われつつある。もう少し人間的な生活を送るところから始めていこうと思う。

 

本当は評価の数と成果物だけが存在意義でないことも頭では理解しているが、心根が我儘なのですぐ欲しがってしまう。この癖を治すのも目標にする。

 

本当に近況の羅列でしかないこと、なんなら羅列ですらないただの散文であることを申し訳なく思う。

20210823

今更? 今から?

 去年はずっと、忙しさを理由にして自分を顧みるのを避けていた。その方が、自分にも周りにも良いのだろうと思い込んで誤魔化していた。

 ところが、そういうわけにもいかなくなった。

 ちょうど一年前の2月。ぎりぎり開催された大きなライブに行ってから一ヶ月も経たないうちに、瞬きひとつの間に何もかもが変わった。家から出にくくなって、カメラロールに残る人の顔はどんどん見えなくなっていった。

 幸か不幸か私はそれにさっさと慣れてしまって、ぶつくさ言いながらもそれなりにオンライン回線と良好な関係を築いていた。たぶん。

 問題はそのあとで、寝ても覚めてもずっと家に居るものだからすることがパターン化した。それも、外に出られていた時よりもずっと単調で動きのないパターン。合わせる顔も毎日同じで、端的に言えばすぐに飽きが来た。何かあった時の逃げ場もなかった。

 そんな時でも、好きなアーティストは私より遥かに大きな苦境に立たされながらも決して逃げずに、前を向いて笑い続けてくれていた。

 「不要不急」という言葉は恐らく、彼らにとっては最大級の暴力になり得る言葉だ。彼らに夢見ているただの私たちにすら大なり小なりの傷を負わせたそれが、その「不要不急」を仕事にして生きている人間たちにどう作用するか、というのは少しの想像で測れてしまった。

 だから、諦められなかった。彼らが見ている未来を、見せようとしてくれる姿を見られないのは、いやだと思った。

 

そう決めたからなのか、単にそうせざるを得ない環境に入っていったからなのかは分からないけれど、今年は否が応でも自分のことを顧みることが多かった。

 自分で思っているよりも、自分はただの人間だったこと。

 今更、選択を後悔していること。 

 欲しかった幸せは、もう今生ではきっと手に入らないだろうことが分かった。だけれど、それ以外の事象にもなんだかんだと幸せは潜んでいて、それをきちんと飲み下せるようにもなった。

 何でもかんでも、あれもこれもと望んでしまうけれど、御生憎様と言ったところか「これでは他人に勝てない」と思ったとしても、それしか手札は無いのだ。だから、カードを捨てても、勝負から降りても、拾って這いつくばって使っていくしか選択肢がないらしい。残念だけど。

 

苦境の中、笑顔でいられる人は強い。重い感情を昇華して、なんでもないみたいに笑っていてくれる人を、この一年でたくさん見てきた。それってものすごく、格好良いことなんじゃないかと思う。

これも、この一年で気づいたことのひとつ。

 

昔から私はそういう重い感情に塗れて過ごしてきたし、それを重たいまま吐き出すのが良いことで、自分の創作もそういうものだと信じてきた。

でもこれからは、ほんの少しだけでも、私の好きな人たちみたいに笑う練習ができたらいいなんて思ったりする。

 

 

お題「#この1年の変化」